Updated Last: 30-Nov-2003
まずはかつてのアクティビティーから。
開局した頃は短縮GP (5mH)で3.5MHz、7MHz、21MHz、28MHzと許可された全てのバンドに出ていました。最初は冬でしたからローバンド、そして春になるとハイバンドに出ましたが、10mがオープンした時は10Wで簡単に海外の局と交信できますし、独特のノイズが好きで、10mを中心に聞いていました。この1984年頃、よくパイルアップの中で聞こえた局は15mではJL3CZF、10mではJL3PVKでした。その後、サイクル21はボトムに向かっていますし実際夜になると何も聞こえなくなったことからメインバンドは10mではなく15mになりました。そして夜な夜なCQを出すJL3CZFと交信するようになり、ラグチュー仲間が増えて行きました。JK3RIH瀬川さん、JL3CZF増田さん、JL3GAA浅田さん、JL3ETE藤野さん、JL3VUL野間さん、JM3DTY森田さん、他とは毎晩のように交信しましたが、2,3年も経つと進学や就職でみんなのアクティビティーは落ちて行きました。その後JL3VULはコンテスターとして今も活躍しています。JM3DTYはマカオ返還前にXX9TUPとして活躍しました。他のメンバーは消息不明です(見てたらメールください)。
★2004年1月25日ex.JL3ETE藤野さんより連絡あり!(15年ぶり?)
1984年10月28日、CQ WW DX SSBの最中に21MHz 2el. Swiss Quad (5mH)を組み立てました。このアンテナ、パーツの一部が28MHz用だったのですが強引にそのまま組み立ててしまい(笑)、下がらないSWR(当然です)はアンテナチューナーでごまかしました。それでも思った以上に飛んでくれました。Eスポが開けば1エリアからガンガン呼ばれ、「今聞こえる中で一番強い」と言われることもありました。つまり打ち上げ角が高いってことなんでしょうね…(でもDXに対してもそこそこ飛んで行ってくれました)(と思っていたらキュビカルクワッドではトップピーク効果というものがあって近距離Esで有効らしい。スイスクワッドではどうなんでしょう?)。1・3・8エリアのDXers・コンテスターとはよくラグチューしましたが、今でもアクティブな人が多いですね。私のことを覚えてもらっているかどうか不安なのであえてコールサインは書きません(笑)。ぜひ「覚えてるよメール」ください(笑)>私とラグってた人。
★ex.JO1RDV(/2)土井さん、連絡ください。住所わからなくなりました。
この頃、無線機を置いている場所の関係で夏場になると無線機がものすごく熱くなりました。そのため無線機の放熱板の上にクーリングファンを置いていましたが、その風の向かう方向に遮蔽物があり、凄い音を発していました。それがマイクを通すとまるでリニアアンプを使っているような音になっていたそうで、「アンプは何を使ってるの?」と聞かれたこともありました。アルバイトもしない学生にリニアなんて買うお金はありませんって(笑)。
基本的にはDXCCを追いかけながら、国内外のコンテストに参加したり、JCC/JCGも少しだけ追いかけていました(でも途中でわからなくなったのでJCC/JCGはヤメ)。ただしDXCCに関してはオーバーパワーやマナーの悪さに閉口したこともありますが、それ以上にコンディションが良すぎていろいろ聞こえすぎたのでだんだん興味がなくなって行きました。やっぱりサイクル21のボトム(サイクル22の前)に、ノイズしか聞こえない中からヨーロッパというかUA6あたりのか細い電信(21MHz)をがんばって聞いていたので、コンディションが良すぎると面白みに欠けたのだと思います。
開局当時の春は28MHzも結構楽しかったのですが、太陽活動の変化と共にほとんど28MHzを聞かなくなりメインバンドは21MHzに移りました。それでもコンディションが良いときに聞こえる独特のノイズが好きで、たまに受信だけはしていました。
1988年11月6日、21MHzのSwiss Quadを降ろし28MHzの2el. HB9CV (10mH)を上げました。この頃はサイクル22が好調になっており10mではDXがガンガン聞こえていたように思います。あまりに聞こえすぎて興味も無くなり、よく覚えていません。後年QSLが届いて「あぁ、こんなところとも交信していたんだ」と思った事が何度もありました。1990年の春頃までは多くのDXと交信していたようで、3DA0BKからは2回呼ばれていたり(なのにまたこっちから呼んでいたり…)、WやEuからレポートは悪いながらも結構呼ばれていたようです。しかしそれ以降は無線機の電源を入れない日が続きました。
そして1992年、大型台風接近に伴い、アンテナを降ろしました。それ以降実家でHFのアンテナを上げることはありませんでした(1993年にバターナットのバーチカルを購入しましたが結局建てずに捨てることとなりました)。
※ちなみに紙ログのデータをログソフトに入力したところ、この頃の交信数はDX=1,700/JA=300ほどでした。DXCCはこの頃は熱心に追いかけていませんでしたがMixed=153, Phone=128, CW=101。WASは全く意識していませんでしたが、Mixed=31、Phone=13、CW=31。いずれもworked。DXCCはともかくWASはもうちょっと真剣に追いかけていればよかったかも…。
1994-1995年はFT-690を手にいれ、加古川市や神戸市から移動運用。エレクトロニクスキーヤーが無いため無理して縦振れで。内蔵ホイップまたはモービルホイップで運用していました。
1997-1999年にはベランダのワイヤーアンテナ(明石市)で21MHz/24MHz CW、1999-2000年にはやはりベランダのダイポールアンテナ(豊中市)で24MHz CWに少しだけ出ていましたが(トータルで100局強)、サイクルのピークであるにも関わらずDXはほとんど何も聞こえませんでした。ただ豊中から出ていた頃はCQを出せば国内からは結構呼ばれていました。この頃は「ポータブル3」で50Wでした。
この頃は18MHzにも興味があったのですがあまり交信できませんでした。
これまでに運用した中では28MHzが最も楽しかったのですが(特にノイズが)最近では不法局だらけであまりおもしろくありません。その代わり伝播の様子が似ている(と思う)24MHzが結構好きです。
でも聞いている時はあまりオープンしないので局数の多い21MHzや、それなりに相手(国内)のいる10MHz、14MHzに伝播の様子が近い(と思う)18MHzを聞くことが多くなります。14MHzは聞きはしますがパワーが無いので海外にまで飛んでくれません。アンテナの短縮率の問題からやはり3.5MHzや7MHzは厳しいため、自然とハイバンドの運用が中心になります(といいつつ安定して聞こえる10MHzが中心になっています)。コンテストでは50MHzはやっぱり外せませんね。
モードはやはりCWが中心になります。ワッチは大切ですが、誰もが受信側にたっているとオープンしているかどうかわかりませんのでCQを出すこともあります。電話ももう少しパワーがあれば(あるいはアンテナがよければ)出るのですが、今のところコンテスト中心にSSB/AM(50MHz)/FM(50-430MHz)に出ています。
アクティブなバンド・モードはその時々によって変わっています。
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